こんにちは(^▽^)
笑顔で幸せの連鎖を作るパーソナルシェフのとろみです。
すごく晴れて、気持ちの良い日に埼玉県の日高市にある高麗神社に行ってきました。
高麗神社を知ったのは、和田裕美さんがお勧めパワースポットとして紹介されていたからです。
入り口のところで参拝者の名簿のようなものがあるのですが、これがすごい!
新しいものでは南果歩さんのお名前等もありました。
この高麗神社に行くと、出世運がすごいらしく、今までの総理であるとか最高裁判所の長官等もこの神社にお参りされた後に出世したと言われています。
9月には天皇、皇后両陛下がいらっしゃっています。両陛下がご一緒にお出ましになることを行幸啓(ぎょうこうけい)といい、今回の行幸啓は、私的旅行として、いらっしゃったようです。
普通の神社とは違う何か秘密がありそうですね。
高麗郡の歴史
高麗(こま)は高句麗(こうくり)のことで、新羅滅亡の後、朝鮮半島を統一した高麗(こうらい) とは別の国です。
高句麗は紀元前1世紀、中国の東北地方に興った国で、後に朝鮮半島の平壌に都しました。
しかし建国から700余年、天智天皇の7年(668年)唐と新羅によって滅ぼされました。「日本書紀」にはわが国と高句麗との往来の様子が記されています。
高麗神社の由来
高麗郡が設けられた時、その群を治めたと伝えられるのが高麗王若光です。「続日本紀」によれば、文武天皇の大宝3年(703年)に、従五位下高麗若光に王姓を賜ったとあります。位を授けられ、さらに王姓を承ったのは、若光が高句麗の王族であったためだと考えられています。
安住の地は与えられたものの、国の中央からは遠く離れた未開の地、武蔵国の一角にうつされた郡民の困苦は深刻なものであったと思われます。郡民の生活を託された若光は、郡民を励まし祖国の技術を以って荒野を拓き産業を興して民生を安定させ、波乱に富んだ生涯を終えたと伝えられています。都民がその徳を偲び、その霊を祀ったのが高麗神社の始まりです。
私は電車を利用して
JR川越線
高麗川駅下車タクシー5分ですが徒歩だと20分
天気がよかったので歩いて行きました。
途中にかわいい看板もありました。
この橋を渡ると、すぐに高麗神社です。
入口です。天気も良かったのでポスターみたいな景色が楽しめました(^^♪
真っ直ぐ歩くと右側に、魔よけとして作られた像がありました。
よく見ると顔が何とも面白い!
11月なので紅葉がみられることを期待しましたが、まだ青々と緑がキレイでした。
ここで一礼して境内に入りました。
すぐ左に、お清めの場所がありました。
龍の形をしていたので、ここでも出世運が感じられました。
手水にもお作法があります。
私もこれを見ながらお作法通りに清めました。
以前、お茶(裏千家)を習っていたので、その時とほぼ同じお作法です。
続きは、明日のブログでお伝えしますね(o^―^o)